フレーベル主義保育①唱歌

1876(明治9)年東京女子師範学校附属幼稚園の開設以来、
1879(明治12)年2月 鹿児島女子師範学校附属幼稚園、

同年5月 大阪府立規範幼稚園、同年6月 宮城県仙台区木町通小学校附属幼稚園、
1880(明治13)年 愛珠幼稚園・・・と幼稚園が、開設されていきましたが、
社会において「幼稚園」が理解されるということは容易ではなかったと
「日本の保育の歴史、萌文書林、2017、p86」に記載があります。

大阪市に開設された愛珠幼稚園では、保育を始めて1週間ほどの間に、
次々に退園者がでたため理由を尋ねたところ、「唱歌」を「讃美歌」と勘違いし、
耶蘇教(キリスト教)であるとの誤解によるものであったとの記載(同、p86)もあります。

唱歌」は、フレーベル主義の保育において大切な部分です。
フレーベルの著書にひとつに「母の歌と愛撫の歌」という歌絵本があります。
ここには、子どもの成長が連続的に描かれ、成長に合わせた歌、遊戯などの教育目標が
子どもの成長に合わせて描かれています。

「母の歌と愛撫の歌」の日本語版は1897(明治30)年、A.L.ハウの訳出が

最初のものとされています。
日本の文化に合わせて、子どもたちに理解しやすい言葉に訳されたとのことですが、
それ以前、豊田芙雄先生を初めとする先駆者は、この「唱歌」の定着に
大変な苦労をされたことは間違いないでしょう。