豊田芙雄先生 ①

日本の保育士(保姆第1号)は、豊田芙雄先生です。
広く知れ渡っていますように、日本の幼稚園のはじまりは、
1876(明治9)年東京女子師範学校付属幼稚園で、フレーベル主義に基づく教育、保育です。

開設時の監事(園長)は関信三先生、主席保姆は松野クララ先生です。
クララ先生は、ドイツのフレーベルの学校で幼児教育を学び、
日本人の松野氏と結婚し来日しました。

フレーベル主義保育、恩物中心主義・・・これは、どの教科書にも載っています。
問題は、「唱歌」。フレーベル主義保育に用いられる唱歌を、日本の子どもたちに
親しまれるような歌詞に改訳したり、雅楽を取り入れたりと大変な苦労をされたということ。

また、クララ先生から豊田芙雄先生へは、英語で「伝習」され、
その通訳は監事の関信三先生が行ったということ。

「教育」「保育」以前の苦労が山積みだったということがよくわかります。